再公式化における言葉の策略パターン(その2)

言語

観念について何が出来るか、の概念について考えてみましょう。

これは、何が間違っているか、を探すということではありません。

特定の観念を正当化したり、不当化したり、抹消したりするのでもありません。

なぜなら、観念は質の低い言葉なのです。

観念は、進行中のプロセスに関する一般化だと定義することが出来ます。

観念は、一連の仮定から一般化されています。

観念そのものには注目せずに、観念を検討することは出来ます。

別の可能性への、新たなドアを開くのです。

ときには、観念を支えている一連の仮定を探索し、検討する方がずっと効果的です。

そういったパターンを使えば、まだ探っていない一連の仮定を検討し、観念がほのめかす普遍性に疑問を呈することが出来ます。

これは、制限をつけている観念の持つインパクトを減少する一歩になります。

そして、深いレベルで思考を転換し、可能性の幅を広げる基盤にもなります。

私たちは、癖になったものの見方にはまり込んでいるので、柔軟に創造的に考えることが困難になることがあります。

慣れ親しんだものほど、別の見方をすることが難しくなります。

自分がやっていることについての見方の幅が広がると、問題と感じている要素は広がった見方に対応する別のパターンへと組み替えられます。

すると、問題への創造的な解決策が現われてきます。

これを可能にするのが、再言語化と言葉の策略パターンです。

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