個人の持つパワーと使えば、そのパワーはメタファーになる。
個人の持つパワーという言葉の使用は、精神面ではなく、肉体面での質を記述するときにのみ適切である。
パワーという考えやパワーは、それを信じる人間をまたたくうちに堕落させる。
しかし、それを何より欲しがるのもまた、このような人間なのである。
これは病的な狂気である。
このためにさまざまな災難が起こる。
このパワー批評は、さらなるパワーは常によりパワフルである、という暗黙の、しかし不確かな仮説を再検討することを示唆する。
この仮説を狭義に考えれば、エコロジーに当てはまらない。
このような仮説は潜在的に有害である。
一線を越えた時点で人間の誰でもの柔軟性をどんどん失わせる。
パワーを誤って信じることは危険なメタファーである。
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